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【上京物語】とあるWebマーケ会社で地獄を味わった話

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【上京物語】とあるWebマーケ会社で地獄を味わった話

こんにちは!だざいです。

大学2年生のときに自殺未遂をしたものの、
卒業後はフリーランスとして独立。


いまは、ライターとして月50万円くらいを稼ぎながら、
他の事業を動かしつつ、
Webマーケ会社の役員などをやっています。



・・・さて、今回は、
僕のビジネスの下積み時代(?)について
書いていこうと思います。





僕としてはまだまだ下積みというイメージなのですが、
ここが僕のビジネスの原点です。



簡単に説明すると、
僕は大学4年生の頃、オンライン授業をいいことに、
仙台から東京へと上京しました。




期間としては、
2020年5月30日から9月1日まで。

約3ヶ月間ですね。



Webマーケティング会社の事務所で寝泊りしました。


いま考えても、コロナ禍なのに東京行くなんて、
本当に馬鹿なことをしていると思います(笑)

でも、これが僕の人生を変えました。




何か挑戦とか、行動とか
そういう刺激になるといいな。



なぜ上京したのか・・・

僕は大学2年生のころに自殺未遂をして、
死ぬのが怖くなっていました。




そして、生きることからも死ぬことからも逃げていて、
ようやくたどり着いたのが・・・


「どうせ死ぬなら、この身が擦り切れるほど
楽しんで、やりたいことをやって死のう」



という考え。





そう思った僕はなんやかんやあって、
ある人のもとでビジネスを学ぶことに。




大学生で手元に5万円しか残らないのに、
3万円×10ヶ月で、
合計30万円のコンサルを受けることにしました。
(現在のコンサル費は300万円〜らしい)



そして、その師匠のもとで
僕はビジネス的にも、
精神的にも圧倒的に成長しました。





そして、3月ごろ・・・

師匠から「東京に事務所を構えるから、こない?」
とのLINEが来たのです。




正直な話、これは師匠にも言っていませんが、
行きたくありませんでした(笑)



実は僕、英語科教員になるために
大学に行ってたんです。

なので、先生になるために
7月から「教員採用試験」があったんですよ・・・。



そのときの僕の選択は、以下の2つ。

  • 7月の試験を受けて、安定した教員として生きていくか
  • ここで東京に行き、ドキドキハラハラの人生を歩むか

あなただったら、
どっちを選びますか?

普通、教員ですよね・・・(笑)




僕でもそう思います。



でも、一度人生を辞めて、
「この身が擦り切れるほど、人生を楽しむ」
と決意していたんです。




だから、ワクワクを追いかけました。



あとは、そのときに読んでいた
『自分の中に毒を持て』も
僕の背中を後押ししてくれましたね。



この本には、こう書かれていました。


----人生の選択に迷ったら、ワクワクするほうを選べ。


いまでも覚えています。





その部分を読んだとき、
僕はアルバイト中だった。


自宅から近いコンビニの
夜勤アルバイト。





品出しなどの業務を終えて、
少しの休憩の時間。

・・・そこで飛び込んできた
「人生の選択に迷ったら、ワクワクするほうを選べ」
という言葉に衝撃を受けた。







泥水すすってでも、この状況から這い上がって、
この身が擦り切れるまで、人生を楽しむ。


そして、岡本太郎に背中を押された。




僕は師匠に「俺、東京行きます」と連絡し、
2020年5月30日を迎える。


なんやかんやあったけど、
僕は東京に行くのが楽しみになっていました。




そのときはまだ、
あんな毎日が待っているとは、
思っていなかった。


あんなに厳しい世界に足を踏み入れるとは、
まったく考えていなかったのだ。



新幹線で泣いた、2020年5月30日

2020年5月30日、
仙台から東京への新幹線に乗りました。

別に、たった3ヶ月ですよ。


それでも、なんだか悲しさを感じました。




あのときの気持ちはなんなんだろう、
あまりわからないけど・・・


なんか、不安と覚悟が入り混じった感覚でした。

僕が東京に行くときに
Instagramに投稿したストーリーズがこれ。



このようにして、
僕は東京に出ていきました。


いまでも覚えているのですが、新幹線では
MOROHAというアーティストの
『遠郷タワー』という曲を聴いていました。




その歌詞に、
こんなものがあります。

わかってる でももう少しだけやらせてください
だって「諦める」なんて憧れの言葉で
いつかは辿り着きたいくらいです
それは寒気がするほど向き合った奴だけが
口にできる言葉のはずで
俺にはまだその資格はないと思うんです
だから夢を捨てるなんて 今はまだ言えません
収まるゴミ箱が心にはないんだよ

最後に笑いたい いや違う
最後まで笑っていたい

MOROHA|『遠郷タワー』



不安と、覚悟が入り混じった曲です。

僕はこれを聴いて、
このPVに出てくる女性を
自分と重ねて・・・


ただ新幹線に乗って、
地元仙台から
戦地東京へと行きました。




もう一度言いますが、
期間はたったの3ヶ月ですよ。




そっちに就職するわけでもないし、
両親や友人とだって
3ヶ月もすれば会えるんです。



だけど、あのときは不安でいっぱいだったし、
そのこみ上げてくる不安を
覚悟というハンマーでぶっ叩いて、

不安を覚悟で黙らせて、
新幹線でこの曲を聴いていました。




天国と地獄を味わった、怒涛の3ヶ月間

東京駅に到着し、
スマホで路線を調べる。


僕がこれからお世話になるのは、
「大泉学園」というところにある
Webマーケ会社の事務所。



そこで3ヶ月を過ごす。



高校の修学旅行以来もった記憶のない
キャスターバックを鳴らして、

片手には電車の時間を調べたスマホ。


駅構内を歩いている人たちは、
仙台より早歩きでした。



そんなことを考えながら、
乗ったことのない路線に乗る。


・・・到着。




大泉学園駅に到着すると、
メンバーのみんなが待っていました。



「荷物持とうか?」
「大丈夫です」
「いいから、持つよ」




そんな会話から始まった、怒涛の3ヶ月。





・・・地獄でした。




仕事の時間は、
9時〜17時の8時間。

別に、その会社の制度には
なんの文句もありません。



むしろ、時間ぴったりに終わっても良かったし、
すごくいい環境だったと思う。

超ホワイト企業って感じ。



でも、僕はそこらへんの人たちとは違う。




たった3ヶ月という短い期間で、
この貴重な体験から
何かを見つけ出さなきゃいけなかった。



9時〜17時の8時間では、
足りなかったんです。




もちろん、Webマーケティング会社という
本格的なところに入って、
全然仕事のレベルに追いつけなかったのもあるしね。


とにかく、僕には時間が足りなかった。






・・・だから、自ら地獄を選ぶことにしました。


朝は5時くらいに起きて、
仕事の9時まで勉強。

17時に仕事が終わったら、
2時か3時あたりまで
ずーっと勉強をします。



それを3ヶ月間
ほぼ毎日繰り返しました。






買ってきた本をメモしながら読んだり、
終わらなかった仕事をしたり、
どうやったらライティングが上手くなるか研究したり。


実はその3ヶ月で、デザインと動画編集も
できるようになりました。



Adobeのイラストレーター、フォトショップ、
プレミアプロあたりはいじれます。





地獄でしたよ。





体調にも異変が出たことがありました。


ストレスによる免疫力の低下で
60代〜70代の方がよくなる「帯状疱疹」にもかかったし、

なんの前触れもなく、
39度の熱が出ることもありました。


ときには、夜ずっと吐き気が止まらなくなり、
2時に布団に入ったのに、
朝の6時までトイレで吐き続けたことも。




でも、地獄を味わいながらも、
天国を味わう瞬間もありました。




メンバーの人に「成長したね」って
褒めてもらったときとか、

みんなで仕事の話をしながら、
楽しくお酒を飲んでいるとき。

夏の夜風に吹かれながら、
ベランダでマーケティングの話をしたのも
すごく楽しかった。


あの時間は本当に天国でした。



天国というよりも、
青春だったかな。







何かに向かって、ただ突っ走っていた。



何に向かっているのかわからなくても、
ただ突っ走っていた。




心を壊しても、身体を壊しても、
心の底からブワーッと湧き上がってくる
熱意なのか、狂気なのか


何かわからない、とにかく熱いものに従って、
がむしゃらに3ヶ月を走り抜けた。





絶望と希望を行き来しながら。



泣いたし、笑った。






これが僕の東京時代。



たったの3ヶ月だったけど、
ものすごく濃密だった。



多分、何歳になっても忘れないし、
何があっても忘れないと思う。



周りには「バカだな〜」と言われたけど、
自分的には、「最高だったな」と思う。




この文章だって、なんだかカッコつけていて
「クサい文章だな」って思う人もいるかもしれないけど
本当にそういう日々を送ってきました。




地獄だったなあ。

天国だったなあ。



でも、きつかったから、戻りたくはないかな。





実際、Webマーケティング会社で働いてみてどうよ?

僕のストーリーは一回おいておいて、
ここで「実際どうよ?」というお話を。



Webマーケティング会社で働いてみて、
実際感じたことは・・・



きっつ〜〜〜〜〜



ただこれだけです・・・(笑)





いや、もちろんいいこともあったんだけど、
もうあの生活はしたくない。


仕事と勉強で寝れなかったとか、
心が少しおかしくなったとか、
身体がぶっ壊れてしまったとか

そういうのではなくて・・・。




シンプルに、毎日同じ時間に仕事するのがキツかったです。

毎日同じ場所で仕事するのがキツかったです。

毎日同じメンバーで仕事するのがキツかったです。





もちろん、9時〜17時はいい時間だし、
仕事場もすごく充実していたし、
メンバーのみんなもいい人たちだったけど


なんか、キツかった。





たぶん、縛られている感。があったんですよね。




たとえば、今日は気分が乗らないな〜と思っても
絶対に仕事はしなきゃいけないし

今日はめっちゃやる気あるぞ!っていう日に限って、
みんな休みだったら仕事進まないし

〇〇行きたいな〜と思っても、
仕事だったらいけないし。



こういうことに不満を感じるなんて
「わがままだ」と思われるかもしれないけど
本当に不満でした。



会社ってこういうもんなんだな〜と実感しましたね。



普通の大学生がインターンに行っているよりも、
会社のリアルを感じられたと思います。




僕には向いてなかったですね。




おそらく僕と近い価値観を持っている人も、
あんまり向いてないんじゃないかな・・・。


てか、向いてる人っているのかな。




みんな、自分の価値観を社会に寄せて、
自分を殺してるんじゃないの?




そんな気がします。


働いている同級生を見ると、
そんな気がします。

大企業に就職して、絶対安泰みたいな友人が
ばんばん仕事をやめていったり、
仕事をやめたいっていってますからね。




でもまあ、人それぞれか・・・。


僕がここで一つ伝えたいのは、
自分の価値観を殺していると、死にたくなるよってこと。



僕がそうだったから。




社会に寄せすぎたら、
死にたくなった。



だからみんな、
あまり自分を殺さないようにね。


最も大切にすべきことは、周りと一緒になることではなく、
自分をたくさん愛してあげて、
自分が生きたいように生きることだと思うよ。

新幹線で笑った、2020年9月1日

僕は、3ヶ月のビジネス修行を終え、
2020年9月1日に仙台へと帰りました。


帰りに僕が撮ってた
Instagramのストーリーズがこれ。



3ヶ月前と、逆方向の新幹線に乗って、
戦地東京から、地元仙台に帰る。


もちろん、帰りに聞いていたのは、
同じくMOROHAの『遠郷タワー』



でも、聞こえてくる歌詞が、
くるときとは違って感じ取れました。



頑張ったよ俺は。



そう胸を張って、
仙台に帰れるんだから。



不安を覚悟でぶっ叩いて、
涙を原動力に変えた3ヶ月間。





それを乗り越えて、
精神的にも、スキル的にも成長した。






僕は、帰りの新幹線で笑えました。





笑顔になれました。



これは、地元仙台に帰れるから
安心して笑顔になったのではなく、

3ヶ月間の自分を誇らしく思う気持ちから
素直に出てきた笑顔でした。





ここで、僕のビジネス修行は一旦終わり。



あのときの笑顔は、
甲子園球児のようだったと思う。

そのころはヘアドネーションをするために
髪の毛を伸ばしていたんですけどね・・・笑




まるで、青春のような
熱く、苦しい、
夏の3ヶ月でした。



この場を借りて、あのときお世話になった方々
本当にありがとうございました。





仕事が全然できなくて、
たくさん迷惑をかけたと思います。


仕事はできないのに口だけは達者で、
それのせいで多くの人を
嫌な気持ちにさせることもありました。


そのことは、本当にすみませんでした。






でも、すべてをひっくるめて、
いまの僕があるのは
あの頃の皆さんのおかげです。




改めまして、ありがとうございました。




P.S いま考えてみると、フリーランスの自由さを再確認する

本編は終わり、
ここからは付け足しです。




このブログを書きながら、
その頃のことを思い出しました。




・・・思い出してみて実感するのが、
フリーランスは自由だということ。





会社に属さず、一人でやっていくのは
すごく大変なことに見えるかもしれません。

でも、僕にとってはこれが一番楽です。



だって、自由だから。

自分の人生を、自分でコントロールできるから。




好きな時間に起きて、
好きな場所で仕事をして、
好きなだけ作業する。




これが僕に向いているみたい。





自殺未遂という衝撃的なイベントを通して、
「自分の人生は、自分でコントロールしたい」と
強く感じた経験があるからかもしれません。




あと、僕の人生を「月額20万〜30万の定額プラン」で
会社に差し出さなくていいのも、僕的には嬉しいかな。




やっぱりどうしても、会社に入っているときは
「ある一定の金額しかもらえない」
「なのに仕事は無限に降ってくる」という感じでした。




でも、フリーランスとして自分で仕事をすれば、
仕事をした分だけ、収入が自分に入ってくる。


いま会社に入ってて
「給料が少ないな」と感じている人は
仕事量に対しての給料が足りてないから
そのように感じるんだと思います。



だったら、一度フリーランスとして活動してみれば、
人生が、世界が変わって見えてきます。







そして、これは営業トークみたいに聞こえるかもしれないけど、
最初にフリーランスとして活動するなら、
動画編集やプログラミングではなく、ライティングがおすすめ。


ライティングさえできれば、
仕事は無限に出てくるからです。




動画が流行っていても、シナリオ、サムネイル、
タイトルを考えるのはライターです。


プログラミングが流行っていても、
その人たちが作成するサイトの文章を考えるのは
ライターの仕事です。




ライティングさえできれば・・・
ライティングさえできるようになれば、
人生食いっぱぐれません。





これは、僕が証明しています。


そして、これからも証明し続けます。




ライターとして生きていきたいけど、
どうやったらいいかわからない。



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